故・今野巌さんの件1

故・今野巌さんの件1

故・今野巌さんー1

2013年、夏ごろ、
私が若い時にお世話になった会社の工場長(故・今野巌さん)の家で、二人で仕事をしていたときに、工場長が急にろれつがまわらなくなり、椅子から立てなくなったので、もしかしたら脳梗塞かもと思い、救急車を呼び東名厚木病院へ運ばれた。


このときは、低血糖との診断ですぐに退院でき安心しました。この時期は、工場長の家を仕事場にして一緒に仕事をしていました。


それから、しばらくして、体調に変化があったらしく、東名厚木病院で、検査などをした結果、大腸がんがみつかった。工場長から頼まれて保証人になり、入院手続きなどして、手術し入院した。


手術は無事に済み、その後の経過もよく、ほかに移転が見られないとのことだったのが、リンパに移転して進んでいたと、しばらくしてから、医師から報告と説明があり、抗ガン治療をするようになった。


しかし、2014年から、
抗ガン治療をやめて、自宅で療養していた。11月ごろから、日常の生活ができにくい状態になっていた。


病院へ行く日が近くなり、工場長が病院までのバスの時間やタクシーなどを調べていた。


私も協力して、工場長を車に乗せて、バス停まで行き、バスの時間などをメモしてきたが、再度、インターネットで、調べて、バス会社へ電話で相談したら、桜台から直通で厚木市立病院経由のバスがあり、時間を教えてもらった。


しかし、工場長の体調が悪いので、私が、朝から病院につれていくことにした。


工場長からのお願いもあり、私が、工場長を病院まで連れて行き、無事に検査と薬をもらい、家に帰る途中でお昼ご飯をうどん店で食べた。また、途中で買い物などもして家に帰ってきた。


工場長が食欲が無いとのことなので、栄養補給ができる食べやすいものを食べていた。


また、病院の医師からは、具合が悪くなったり、立てなくなったら、救急車を呼んで病院にくるように言われていた。


工場長が再度、入院するためには、限度額医療の申請を再度しないと治療費が膨大にかかる。


払っていなかったお金を、ローソンで、2014年12月21日18時37分に、支払期日が、2014年12月25日の国民健康保険税、8000円を私が払った。


2014年12月22日、
工場長が、再度、入院を決めた日に、私が、午前中に愛川町の役場に電話で問い合わせをして、入院費に関する限度額医療の申請を、私が、直に役場に行き必要書類などを提出して発行してもらった。


このとき、工場長は字を書くことが困難な状態だった。午後に、病院と救急車に連絡を取り、救急車で厚木市立病院に行った。


再度、私が保証人になり入院等の手続きをした。検査の結果、余命、一か月と先生から言われたので、私は、工場長に姉たちに連絡をしたほうがいいと説得をし、私が姉たちに連絡をした。


2015年に入り、
工場長の頑張りがあり、食事ができる状態まで回復した。私は、毎日、工場長のお見舞いに行きお話などして励ましていた。


※工場長のお姉さん夫婦たち(姉が二人いる)は、工場長の母親が亡くなったときに、母親の財産をすべてもっていったと、工場長から聞いていた。また、工場長は、いとこのおばさんやおじさんにもそのことを話している。工場長のまわりにいるひとたちは、このことを聞いている。私も、何度も聞いており、この日から姉弟の縁を切ったと言って、10年以上たっていた。


2015年1月
正午ごろ、工場長の長女お姉さん(東京のお姉さん夫婦)から私の携帯に電話があり、わけのわからないことを言われた。
電話内容:
「もう、巌はあなたの工場長でも、友達でも無いので、病院に来ないでくれ!下着などのクリーニングは、しなくていい!巌の言うことを聞かなくていい!」など、ひどいことを言われ侮辱もされ名誉を傷つけられた。


ひどいことを平気で言う人間がいることを、あらためて感じた。工場長から、姉弟の付き合いをやめた件(姉弟の縁を切った)を何回もきいている。おふくろさんの面倒を工場長が見てたのに、おふくろさんの財産をすべてもっていったと聞いている。


そのことで、10年以上、姉たちと連絡をとっていないし、工場長が東名厚木病院に入院したときは、医者に身内はいないと説明している。


その時、工場長に頼まれて私が保証人となり入院した。(厚木市立病院でも頼まれて保証人になり、入院の手続等を行っている)また、飯能のおばさんたちや金石さん(工場長の恩師)たちにも、姉たちのことを話している。


2015年1月24日に、
東京の長女夫婦が(東京のお姉さん夫婦)、工場長にお見舞いに来たと言っていた。そこで、すごいことを言われたと言って、東京の姉とは縁を切ると言っていた。


姉たちは、おふくろにお金を貸していたので返してほしいと言ってきたと怒っていた。信じられない話であるが、私に電話でひどいことを平気で言う人たちだから本当だと思った。


2015年1月24日の午後に、
工場長に、姉夫婦たちから財産などを盗まれないように家の管理など頼まれて、私が管理しながら仕事をしていた。神奈川の姉夫婦が、愛川町に来た。探し物を取りに来たと言って、持って行った。


神奈川の姉夫婦が来たので、私と少しお話をしていった。そのときに、長女のお姉さんの電話の件を話したら、お兄さんが、かわりに謝ってくれた。私は、正直、お兄さんも、東京の姉と同じことを言うのかと思っていたが、まともでよかった。


ただし、その後、お兄さんと話をしたとき、お兄さんが私に言ったことを、言っていないと言ったのが気になる。


私と工場長とは、20年以上のお付き合いの仲。金石さん(工場長の恩師)と工場長は、40年以上のお付き合いの仲で、私の友達でもある。


私は、工場長の田舎、山形県に一緒に旅行もしたし、私がサラリーマンを辞めて、2004年に会社を立ち上げてから一緒に仕事をしてもらった仲。工場長のパソコンの管理、修理などもしている。


2012年ごろから、工場長の家で一緒にシステム作りなどの仕事もしていた。


後に、工場長の神奈川の姉夫婦たちに、私の私物で仕事関係のデータやシステムなどを入れているUSBメモリやハードディスクなどを強盗された。


工場長の千葉に住んでいる友達と一緒に厚木警察署に被害届をもっていったのですが、拒否されました。


工場長の具合が悪くなってからは、いろいろと面倒(病院の保証人や介護など)をみていた仲でした。


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